グループ沿革

1871年(明治4年) 二代目・※田中徳兵衛が現在の川口市にて麦味噌の醸造(製造)を始めるとともに地主としての地位を確立 二代目は、才覚に富むと同時に商才にも長けていた 140th Anniversary
1894年(明治27年) 7月
三代目・田中徳兵衛逝去、代々の戸主の中では最も短命であった三代目は、二代目が大変なやり手であったために活躍の機会に恵まれなかった
1895年(明治28年) 2月
第四代・田中徳兵衛を襲名
二代目が後見人となって、弱冠、19歳で家督を相続
商才に長けていた四代目が特に力を入れたのが材木業、その当時、材木屋は川口に一軒しかなかったこともあり、大いに繁盛
政界にも進出し、村会議員振り出しに、同村長、県会議員、貴族院多額納税者議員になっている
これらの地方自治功労者として、勲四等を受章
1921年(大正10年) 四代目、その当時としては最高にモダンで、破格に立派な邸宅を建設(旧・田中家住宅
自ら材木屋を営んでいただけに、最高級の材木を使い、レンガも建築現場近くの業者に一枚一枚焼かせるという念の入れようで、その建築費の総額は十八万円、当時の大卒初任給が七十円、米一俵が八円という時代
この建物は、大正十二年九月の関東大震災でも少しも狂わず耐え現存
旧田中邸全景
1922年(大正11年) 五代目・田中徳兵衛、麦味噌(上田一じょうたいち」)に加え、米味噌(上田「じょうた」)の醸造・販売開始
五代目は、田中徳兵衛商店を継ぐとともに、味噌業界の役員に就任、埼玉県味噌工業組合理事長、全国味噌工業協会会長、全国味噌工業協同組合連合会会長、(社)中央味噌研究所理事長などを歴任して業界の発展に貢献
政界にも進出し、川口農業委員会会長、川口市会議員・同議長、同市長を歴任、これらの功により藍綬褒章、勲五等双旭日光旭日章を受章
 
1946年(昭和21年) 10月
六代目・田中徳兵衛、大学卒業直前に東京都杉並区高円寺駅前に(株)紫屋(むらさきや)を開業
戦後の物資統制下のため、思うように商品が扱えなかった頃で、味噌も統制品で扱うことは出来なかったが、味噌漬は売ることができ、県内から干し大根を仕入れ
自家製味噌で味噌漬を販売、味噌を多めにつけてお客様にとても喜ばれた時代であった
田中味噌醸造場全景
1949年(昭和24年) 11月
六代目、(株)紫屋で味噌の小売販売を始める
 
1951年(昭和26年) 8月
明治以来の個人商店を法人化し(株)田中徳兵衛商店を設立、味噌醸造所を移管
 
1953年(昭和28年) 7月
六代目、味噌卸問屋の「田中商店」開業。全国をめぐり味噌産地のメーカーと折衝、明治四年からの味噌醸造を背景に特約を獲得、全国有名味噌の卸売を始める
 
1956年(昭和31年) 6月
田中商店、(株)高島屋東京支店(日本橋)に味噌売場を開設、同時に三井農林(株)とともに砂糖進物品の納品を開始
日本橋高島屋の[味の徳兵衛]コーナー
1958年(昭和33年) 4月
(株)田中徳兵衛商店に田中商店を統合
 
1960年(昭和35年) 6月
(株)田中徳兵衛商店、味噌醸造を中止し卸売専業となる
「家業」を「企業」に転換、グループ企業形成への始動
六代目は、全国味噌工業協同組合連合会会長、埼玉味噌卸売協議会会長、味噌流通研究会会長、東京都味噌卸協同組合副理事長、川口市交通安全協会会長、川口市観光協会会長、川口商工会議所会頭、国際ロータリー第257地区ガバナーなどを歴任
 
1962年(昭和37年) 5月
(株)田中徳兵衛商店、(株)東武百貨店(池袋店)に味噌売場を開設
 
1964年(昭和39年) 3月
(株)川口セントラル自動車教習所を設立(現・セントラル自動車技研(株))
川口市にて自動車教習所を経営、モータリゼーションの時代へ体制作り
川口セントラル自動車教習所
1966年(昭和41年) 9月
セントラルオート(株)を設立
BMW、アルファロメオ、クライスラーの埼玉総代理店の権利を取得し輸入車の販売を開始
 
1968年(昭和43年) 3月
(株)田中徳兵衛商店、(株)ダイエー各店に味噌の納入を開始

6月
(株)埼玉セントラルマツダを設立
マツダ(株)からの依頼により、マツダの上級車を販売するチャネルを展開
オイルショック後は、全車種を取り扱うようになる

埼玉セントラルマツダ
1970年(昭和45年) 2月
セントラル企画(株)を設立
セントラルグループ間の連絡・調整をはかる役割を担う
 
1975年(昭和50年) 5月
(株)川口セントラル自動車教習所をセントラル自動車技研(株)に名称変更し、セントラルオート(株)の輸入車販売・サービス工場を引き継ぐ
 
1978年(昭和53年) 12月
セントラル自動車技研(株)、コーンズ・アンド・カンパニーと代理店契約を結びロールスロイス、ベントレー、フェラーリの販売を開始
 
1980年(昭和55年) 4月
(株)日本資材、セントラルグループに加わる
トータル・マーケティング、流通事業を担う

10月
セントラル企画(株)、損害保険代理店業務を開始(興亜火災海上保険(株)の代理店)

11月
セントラル自動車技研(株)、BMWモーターサイクル(独),ハーレーダビッドソン(米)の二輪車販売を開始

BMWモーターサイクル
ハーレーダビッドソン
1981年(昭和56年) 10月
セントラル自動車技研(株)、BMWジャパンの設立と同時に正規ディーラーとなる
現在は、BMW/MINIを取り扱う国内屈指のトップディーラー
セントラル自動車技研(BMW)
1984年(昭和59年) 2月
セントラル自動車技研(株)、バルコム(株)とハーレーダビッドソン車の販売代理店契約を締結

3月
エヌエス商事(株)を設立
総合的な流通業務とノベルティ商品の開発などを行う

 
1985年(昭和60年) 8月
(株)田中徳兵衛商店、(株)丸井上野店に味噌売場を開設
 
1987年(昭和62年) 1月
セントラル・タナカ・フランスS・A・R・Lを設立
フランス・パリ一区に3つ星ホテル「プランス・ホテル・フォーラム」を経営

7月
エヌエス配送(株)、セントラルグループに加わる
各種物品の輸送を専門とする

プランス・ホテル・フォーラム
1988年(昭和63年) 9月
(株)田中徳兵衛商店、(株)遠鉄百貨店に味噌売場を開設

10月
セントラル建創(株)を設立
建設事業を担う

1990年(平成2年) 2月
セントラルテクノロジー(株)を設立
コンピュータースクールの経営を開始

5月
セントラルテクノロジー(株)、日本アイ・ビー・エム(株)との代理店契約の締結を皮切りにコンピューター機器の販売開始

7月
セントラルテクノロジー(株)、キャノン販売(株)との代理店契約の締結しOA機器の販売開始

9月
(株)田中徳兵衛商店、(株)川口そごうに味噌売場を開設

11月
(株)埼玉セントラルマツダを(株)アンフィニセントラルに名称変更

コンピュータースクール
1993年(平成5年) 4月
セントラル企画(株)、セントラルグループの統括・支援機能を充実・強化
8月
セントラルテクノロジー(株)、NTT移動通信網(株)、(株)ツーカーセルラー東京などと代理店契約を結び携帯電話通信事業へ進出
ツーカーセルラー東京
1995年(平成7年) 5月
(株)春臨本舗を設立(現・セントラルモータース(株))
 
1996年(平成8年) 4月
(株)アンフィニセントラルを(株)マツダアンフィニセントラルに名称変更
マツダ製高級車、およびシトロエン車の扱いを本格的に開始

5月
セントラルテクノロジー(株)、DDI東京ポケット電話(株)と代理店契約を締結しPHSの販売を開始

6月
(株)田中徳兵衛商店、松屋(株)銀座店に味噌売場を開設

 
1997年(平成9年) 6月
(株)日本資材をセントラルロジスティクス(株)に名称変更
 
2000年(平成12年) 4月
(株)春臨本舗をセントラルモータース(株)に名称変更
セントラル自動車技研(株)の輸入二輪車部門をセントラルモータース(株)へ移管

11月
エヌエス商事(株)をセントラルエージェンシー(株)に名称変更

5月
セントラルテクノロジー(株)、アスクル正規取扱販売店を開始

 
2006年(平成18年) 3月
旧・田中家住宅、国登録有形文化財建造物に登録
川口市立文化財センター分館 国登録有形文化財 旧田中家住宅
2008年(平成20年) 11月
セントラルテクノロジー(株)をセブンシーズ(株)に名称変更
 
2010年(平成22年) 10月
セブンフィールズ(株)設立
(株)ジャガー東京、セントラルグループに加わる
ジャガー、レンジローバー、ランドローバーを取り扱う国内屈指のトップディーラー

12月
セントラル企画(株)、セントラル不動産(株)、セブンシーズ(株)が合併し、
セブンシーズ(株)として新会社発足 セントラルグループ各社の管理運営を担う

ジャガー東京

※田中徳兵衛
本家は元禄時代にさかのぼり、初代・田中徳兵衛は慶応年間に本家の九代目より分家したものであり、田中徳兵衛家は代々、長男が家督を相続し、
「徳兵衛」を襲名して、現在で七代目という家柄である。


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